**「そこに一度入ったら、
二度と出てこられないという意味の「タクラマカン砂漠」。この砂だけのピュアな世界が、刺激を与えてくれる**
ウルムチを出発してから一週間、天山山脈を越えて、タクラマカン砂漠の北縁を西へ向かって、さらにその縁を南へ。
タクラマカン砂漠の南を通る「西域南道」の中心都市であるホータンにまで達した後、 キャラバンはタクラマカン砂漠の中心部を縦断する「砂漠公路」に入った。
この道は南のホータンと北の輪台(ルンタイ)を結ぶ850kmあまりの道のりのうち、550kmを占め、 そのうちの400kmが延々と砂丘が続く風景の中を行く。
ホータンを出発してから100kmあまりは、崑崙山脈とタクラマカン砂漠に挟まれた比較的水もある場所で、 土漠と草原が交互に現れる光景が続くが、進路を北にとってしばらくすると、道の両側に乾燥に強い胡楊の林が続くようになり、さらに、 その胡楊の枯れた荒涼とした風景から、砂丘地帯へと移り変わっていく。
実際に訪れる前は、道の両側は見渡す限りの砂丘が続いているものと思っていたが、 イスラエルから技術供与を受けたというパイプを使った感慨施設によって、丈の低いタマリスクの防砂林が何列も続いていく。
だが、車を止めて、防砂林を越えてみると、そこには、砂のモノトーンの世界が果てしなく続いている。
昔、同じように砂漠を渡っていく車中で、地元のガイドに、「海を見たことがあるか」と尋ねたこがある。
彼は、「教科書で習ったけど、見たことはありません」と答えた。
ぼくが、「この砂全部が水なんだよ」と説明すると、「そんなことはありえない」と、彼は高笑いした。
逆に、砂漠に馴染みのない我々にとっては、海の水がすべて砂の世界といっても、イメージがピンとこないだろう。だが、 この砂丘の連続は、まさに太平洋のような広がりを持って、砂の波頭が続いているのだ。
砂と空以外に何ものもないシンプルな風景の中に置かれてみると、地球の自然の不思議と同時に、 生命とは何だろうという根源的な疑問がわきあがってくる。
この砂の海の中では、もちろんそれに適応した生物もいるが、人間が着の身着のままで放り出されたら、数日で命を亡くしてしまう。 圧倒的に無慈悲ともいえるこの景色の中に佇むと、このまま、自分も砂屑になって、 風に飛ばされていったら気持ちいいだろうなという気にさせられる。
タクラマカンとは、地元の言葉で「一度そこに踏み込んだら、二度と抜け出すことはできない」という意味。
古代、この砂一色の世界に身を投じていった先人たちの想いが、この風景を前にすると、リアリティを持って感じられる。
**イスラエルの技術供与によってできたグリーンベルトが、
タリム油田開発の拠点を結ぶ「砂漠公路」に伸びる**
**砂漠の周縁部には、
胡楊の枯林が広がる。胡楊は、立って1000年、枯れて1000年、 倒れて1000年と言われる。実際には、
朽ち果てるまで400年くらいだといわれる**
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