■ほのぼのと楽しめる中辺路のメインコース■
今回、唯一それなりに歩いて熊野古道を楽しむ中辺路コース。といっても、 トータルで40kmあまりある和歌山から熊野本宮までの道のりのほんの一部、 近露王子から継桜王子までの片道3kmあまりの道のりを往復するだけですが……。
近露王子近くの駐車場に車を止めて、歩き出したのもつかの間、同行のM嬢のシューズのソールが剥がれるという珍事が……。 だいぶ草臥れていたジョギングシューズを今回で履きつぶすつもりが、最後まで持たなかったというわけで、 ちょうどぼくがキャンプサイトで楽なようにと用意していたクロックスのサンダルを提供。しかし、かなりなオーバーサイズで、 ポックリを履いた舞妓さんか、小さな子供がお父さんの靴を履いたような感じで、いかにも歩き辛そう。トレッキングはシューズが命。 道具の点検は、努々怠りなくといった教訓でした(笑)。
熊野古道の中でも中辺路はもっとも人気があり、この近露~継桜王子はコースが明るく、 起伏も少なくて手軽なため、 熊野古道の雰囲気を初めて味わうには最適です。実際、このルートを辿るハイカーは多く、 近露から継桜へのルートを辿る人も多く、 また逆コースを来るハイカーともたくさんすれ違います。
年齢層は、やはりシルバーエイジが多く、夫婦やグループを多く見かけます。また若者の一人旅もちらほらと。
こうした巡礼ルートとしては、四国の遍路が有名ですが、宗教的色彩が強く、どこか悲壮さが漂ったり、「プロ遍路」 のようなおかしな現象が起こっている四国と比べると、熊野の巡礼路を辿る人は、もっと気楽で明るく、スポーツ的であり、 良い形でエコツーリズムのモデルになりつつあると感じました。
道標も整備され、すれ違う地元の人たちも明るく挨拶してくれるし、こうした『巡礼』が、 アウトドアアクティビティの一つとして定着していくような気がします。熊野古道と同様に巡礼の道として世界遺産に登録されている 『サンチャゴ・デ・コンポステーラ』も辿ってみたいと、ほんの触りとはいえ熊野古道を辿ることで思わせられます。
やはり、自分の足で歩くと、 このゴールデンウィークの気候の良さがほんとうに良くわかります。新緑のトンネルを抜けて、 様々な花に出迎えられ、 地面にはタケノコや山菜が目につきます。
近露王子や継桜王子の「王子」とは、熊野の神の分社という意味で、熊野古道全体で99の王子が配されています。 古道を辿りながら、休憩所の役割も持つ王子で一休みし、同時に、安置された熊野の分社に向かって、旅の安全を願う。 そんな場所だけに、王子には、熊野古道を辿ってきた人たちの思いが刻み込まれているように感じさせられます。
山間の狭い舗装路から樹林の中を行く石畳の古道、そしてまた舗装路と道を縫い、ゆっくり散策しながら1時間あまり辿ると、 ちょうど稜線のようなところに出て、果無の重畳とした山並みが遠望できます。
ここが、目的地の継桜王子。 藤原秀衡がこの地にここまで突いてきた桜の杖を願掛けのために地面に突き刺したところ、 後で訪れたときにそれが根付いて花を咲かせていたという故事に因んで名付けられたと伝えられています。
その継桜王子に向かう参道には、「一方杉」 と呼ばれる杉の巨木が林立しています。この巨木たちは、南側だけに枝を伸ばし、 見上げると何かを抱きかかえるように腕を前に伸ばした巨人たちのように見えます。一説には、 その枝を伸ばした先には熊野速玉神社があるとか……。
この継桜王子の直下には、野中の清水と呼ばれる湧水があります。 一方杉の巨木の根回りに染みこんだ雨水が、地中に張り巡らされたその根によって磨かれて地上に湧き出したその水は、 いかにも森が育んだ柔らかで穏やかな水です。
その野中の清水の傍らにある茶屋で一休み。ここでは、 野中の清水の湧水を使ったくず餅を食べさせてくれます。 やはり熊野の濃密な自然が育んだ葛とこの水の組み合わせで作られたくず餅を噛むと、熊野の自然が口の中に広がるように感じられます。
帰路は、野中の清水をキャメルボトルに汲んで、 往路を戻ります。こちらからのルートのほうが下り坂が多く、往路よりも短時間で近露王子に到着。 今回のようにピストンせずにこのコースを歩くのであれば、近露王子近くの道の駅・熊野古道中辺路に車を置いて、 そこからバスで継桜王子まで移動して歩き始めるといいでしょう。
今回は熊野古道の散策は、波田須の大吹峠と、 この中辺路のさわりだけで終わってしまいましたが、次は、奥駆けか中辺路の全踏破に挑戦したいと思います。
**継桜王子の北にある『とがの木茶屋』。茶がゆや薬膳定食が有名だが、予約が必要なことを知らずに訪ねて、 残念ながら食事はできず。 代わりに半搗きの餅米に素朴な餡を載せた美味しい餅を振る舞ってもらった**
■奥山に響く勇壮な祝詞■
中辺路の散策を終えて、この日 は十津川あたりで泊まる予定でしたが、 宿に電話を入れてみるとどこも満室。 キャンプ場も先日の川湯のような様子では落ち着かないだろうと、 一気に五條あたりまで出ることにして、その前にまだ時間があったので、 玉置山へと向かいました。
玉置山は、熊野三山の奧宮とされ、果無山脈の最奧部に位置しています。
十津川側からつづら折れの山道を車で2時間あまり、果無の山並みを見渡す山上の駐車場に着きます。ここから鳥居を潜って、 巨木が林立する参道を進むこと15分あまり。深い森に抱かれた玉置神社の社殿が現れます。
その本殿への階段を上り始めたとき、ふいに、境内を揺るがすようなかけ声が。 思わず階段を踏み外しそうになる気合いの籠もったかけ声は、本殿の中から周囲の深い森に向かって響き渡ります。
そのかけ声に続いて聞こえてきたのは、迫力のある祝詞でした。祝詞といえば、神前結婚式や御祓いの際に、 神主が御幣を振って謳うように唱えるのが普通ですが、ここでは、同じ文言を腹の底から吐き出すように、声を限りに振り絞って唱えています。
それは、周囲を埋め尽くす濃密な果無の自然に向かって、その巨大さに怯むことなく、自らの存在を遍く響かせ、 圧倒的な自然を言祝いでいるかのようです。果無の神々の山に響き渡る祝詞に聞き惚れて、しばらく足が止まってしまいました。
境内を一回りして、社殿の裏手に回ると、そこには、樹齢3000年と伝えられる巨大な御神木があります。 その胴回りの太さと高さに見とれていると、先ほど本殿で祝詞を唱えていた神主がこの木の袂にやってきて、そこに正座すると、 今度は御神木に向かって、祝詞を唱え始めました。
御神木と一対一で向き合い、その大きさに圧倒されることなく、大迫力でありながらも、 その太い幹に染みこんでいくような朗々たる祝詞。それを聴いているうちに、自然に涙が溢れ、止まらなくなってしまいました。
それは、神社という「器」ができる以前、太古の人たちが自然と向かい合って、それを崇め讃え、 そして自分たちもその一部であるとはっきりと自覚して、自然から富を収奪するのではなく、 共に生かし合っていた頃の姿をそのままそこに映しだしているかのようでした。
この玉置神社がある玉置山は、吉野から熊野へと紀伊半島を縦断する「奥駆け」の修行のクライマックスに当たります。ここで、 修験行者は、熊野のもっとも濃密な自然に取り巻かれ、それと一体となった自分を意識して、修行の本当の目的を悟るのです。
この祝詞の光景に出くわして、ぼくは、 近いうちに再び熊野を訪れようと心に誓いました。 熊野の自然が、ぼくたちに、もっと奥深く、懐に入ってこいと、 誘っているように感じられたのです。
<<< 世界遺産・熊野古道を巡る Vol.4 --那智大社と熊野本宮--
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