フォトアルバム

2024年3 月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック

Powered by Typepad

ウェブページ

« 聖地学講座第115回「人と大地との感応」配信 | メイン | 聖地学講座第117回「世界宗教の成り立ちと聖典 その1」配信 »

2017/04/20

コメント

uchida

nikoさん、コメントありがとうございます。

たぶん、検索エンジンの結果のところに、関連するリファレンスとして表示されたリンクで、メルマガのほうの記事へのリンクではないと思います。
山神社については、 blogのほうに続きを記載しております。
http://obtweb.typepad.jp/obt/2016/07/pokemon.html

いわきのほうでは、もう何度か講演会やツアーなどさせていただきまして、山神社も訪ねました。

内郷山神社は、どこかから勧請したものではなく、常磐炭鉱の守り神として炭鉱本社が新たに創建したものと思われます。
位置から見ると、古い太陽信仰の聖地であることは間違いありませんから、そこに阿弥陀堂を作った奥州藤原の鉱山技術者たちが金山彦を祀った小祠を置き、それが発展して常磐炭鉱の総鎮守とされたのではないかと私は考えています。

3.11のときに鳥居が倒壊してしまったそうですが、せめて、冬至の入日にむけられていたこの鳥居だけでも再建してほしいですね。

今年度もまたいわきの聖地調査は継続して、ツアーなど開催しますので、ご都合がつけばぜひご参加ください!

niko

こんばんは 産土神様を探していて内田先生のブログにたどり着きました。私は14歳まで内郷内町で暮らしていました。父母は山神様の相撲観覧席の横にあった会館で結婚式をあげており私は内町前田の自宅で産まれました。私の産土神様は七五三のときにもお参りしている山神様以外に考えられないのですが、常磐炭鉱が閉山になってからは神社としては機能していないと聞いていました。多分、あの神様はどこからか勧進されてきたものと勝手に思い込んでいて、元のところにお帰りになったのなら会いにいきたいと思い探しておりました。

内田先生のブログにひかれてメルマガ購読しました。ネットで調べていたらvol.115 2017年4月6日号 ...... これらの ことから、内郷山神社の立地する場所は太陽信仰もしくは陰陽道的な意味を持つ ロケーションによって「聖地」とされたことが推測できる。 そもそも内郷山神社は常磐炭田 の ...と出てきたので続きが読みたい!と思って購読したのですが、内郷山神社については4月6日号メルマガでは触れていないのです。何かの間違いでしょうか?それとも違うバックナンバーであれば購読したいので、バックナンバーを教えていただけないでしょうか。子どもの頃の遊び場が聖地だなんてワクワクします。内郷山神社ということも知りませんでした。みな山神様さんじんさまと呼んでいました。

よろしくお願いいたします。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。

アカウント情報

(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)