一人の老人が大岩の前で正座し、ずっと祝詞を唱えながら、何度も何度も叩頭している。
真っ白い大岩と、その下に敷き詰められた白い玉砂利が夏の日差しを受けて眩しく輝き、まともに目を開けていられない。あたりの空気はオーブントースターの中にでもいるように焼きついている。
ぼくは、この聖地が持つ独特の存在感以上に、目の前の老人の一心不乱な様子に釘付けになっていた。
圧倒的な迫力で立ちはだかる大岩を前に、彼はいったい何を祈っているのだろう。
焦熱の空気の中、きれいに禿げ上がった頭を何度も何度も玉石に擦りつける老人。背中にはびっしょりと汗をかき、肌着が濡れた皮膚のように光っている。正座した足先の靴下が破れ、右足の親指が覗いている。周囲の視線などまったく意識になく、暑さや玉石の上に直に正座した足の痛みもまったく意に介してなさそうだ。この老人は、いったい何と向き合っているのか。
老人は直向きではあるが、必死だったり悲壮感があるわけではない。ただいつもの作法として、そこであたりまえの祈りを捧げているように見える。
こうした真摯で孤高な祈りを前にすると、心の奥のほうから「共感」というか「共鳴」というか、うまく表現できないが、じっと側に寄り添って同じ感覚を共有したいという気持ちが沸き上がってくる。
聖地にはそれぞれの個性がある。そして、その聖地で祈る人の作法や意識もその聖地の個性と同じ色合いを持っている。
熊野灘の荒波が砂利の浜に打ち寄せる海岸が延々と続く七里御浜。波が寄せるごとに無数の石が擦れあって、あらゆるものを海へ引きこんでいきそうな音が響く。海は見えないが、浜が奏でる音ははっきりと聞こえるところにこんもりとした森がある。
鬱蒼としているけれど、南国の日差しのほうが勢いがあって、木漏れ日が踊る参道をしばらく辿っていくと、白い巨岩と白い玉石の眩い空間に飛び出す。
そこは岩に行く手を阻まれたどん詰まりで、空間的な構造からすれば大きな圧迫感を受けるはずだが、ここで感じられるのはまったく逆の開放感だ。緑の長いトンネルを抜けると、そこは無辺の広がりを持つ異次元であったというような感覚……。
それは眩い白さがもたらすクオリアのようなものかもしれないが、しかし、ここが何か…どこか…に向かって開かれている場であるという強い直感がする。
そして、ぼくが微かに感じる何か…どこか…に向かって開かれているというこの感覚は、目の前で一心不乱に祈る老人にとっては自明のことであって、その何か…どこかが彼にははっきり見えているのだという気がする。
老人に釘付けになってしまったぼくは、自分でも意識しないうちに、この老人に寄り添っていれば、この空間を突き抜けた向こう側にある何か…どこか…が見えるかもしれないと思ったのだろう。
しかし、いつまで経っても、ぼくにとっては異次元の存在は漠然としたままで、いっこうに何かが開示される気配はやってこなかった。
そのうち日差しに当てられて頭痛がしてきたので、花の窟を離れることにした。
そのときも老人は初めて見たときと同じ挙作を自動人形のように正確に繰り返していた。
木漏れ日が踊る緑のトンネルを戻りながら、重い頭の中を様々な想念が過ぎった。その中で、何度も何度も湧いてくるイメージがあった。それは、沖縄の久高島にあるクボー御嶽のイメージだった。
沖縄を中心として、九州南部の沖合から台湾付近にかけて弓なりの形を描いて点在する島々を琉球弧と呼ぶが、この琉球弧には共通の創世神話が伝わっている。
それによれば、天から女神アマミキヨが地上に降り立ち、今では御嶽(うたき)と呼ばれる聖地を開いた。その聖地を中心にして、琉球弧が拓かれていったとされる。そのアマミキヨが最初に降り立ったとされるのが、沖縄本島の南東に浮かぶ久高島だ。
琉球王朝では政治を司る王とともに、聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれる祭祀女王が並立していた。さらに聞得大君の下にノロと呼ばれる女性神官が整備され、民間でも口寄せをする青森のイタコのようなユタと呼ばれる女性シャーマンがたくさんいて、一般の人達の悩み事に応えていた。
久高島はアマミキヨが最初に上陸して開いた場所として特別な聖地とされた。世界遺産に登録され、今では観光客が押し寄せる斎場御嶽は元々、琉球王族が久高島を仰ぐ拝所だった。久高島の女性は基本的にすべてノロに組み込まれた。正式なノロとなるイザイホーという祭りがあって、これは12年に一度執り行なわれてきたが、最近では1978年を最後に後継者不足のために行われていない。
また、外部には公開されていない久高島のノロの祭りは今でも続き、それは、満月の晩に久高島の中心部にあるクボー御嶽で行われるという。
本土では、修験道や密教の修行場などでは「女人禁制」とされるところが多いが、女神が拓いた琉球弧では、逆に「男子禁制」の聖地が多い。久高島のクボー御嶽もその一つで、密林の中に向かって伸びる参道の入口に掲げられた看板にもはっきりと明示されている。だから、実際に久高島を訪ねても、男であるぼくは御嶽を自分の目で見ることはできない(現在は、久高島のノロ以外は女性であっても立ち入りを禁止されている)。
話に聞いたり、数少ない写真資料などを見ると、クバ(ビロウ)の密林をかき分ける参道を数百メートル行くと最奥部にあたる円形の広場に出る。そこではイザイホーのクライマックスでもあるアマミキヨとノロとが一体化する儀式が行われ、また満月の晩に秘祭が執り行なわれるという。儀式の際には、珊瑚礁が砕けた真っ白い砂が敷かれ、それが満月の光に照らされて、そこに集うノロたちを包むのだという。
熊野の花の窟の真っ白い空間からイメージしたのは、その満月の晩のクボー御嶽だった。そのイメージが浮かび上がると同時に、自分が満月の晩のクボー御嶽に意識が入り込み、実際にノロたちの秘祭を体験したことがあるように思えた。そうした連想をもたらすのは、単に場の雰囲気が似ているということ以上の何かがあると思わされる。
花の窟は国生み神話の女神イザナミの墓所であるとされるが、もしやアマミキヨとイザナミは同体の神であったのではないか……。女神信仰には、まだまだ解き明かされない太古からの深い謎がある。いずれ、イザナミ、アマミキヨだけではなくヨーロッパの黒マリア信仰やスマトラ、ポリネシアの女神についても考察してみたい。
花の窟から南へ10kmほど行くと、熊野三山の一つ速玉大社がある。このご神体は大社の南にそびえる神倉山の頂上にあるゴトビキ岩とされる。ここには、今では速玉神社の摂社として神倉神社が置かれている。神倉神社では毎年2月6日に行われるお燈祭りが通称「熊野の火祭り」として有名だ。
上り子と呼ばれる白装束の男たちが燃え盛る松明を掲げて、ゴトビキ岩から急傾斜の階段を駆け下る。新宮節に「お燈まつりは男の祭り、山は火の滝くだり竜」と歌われるように、まさに炎が大きな滝となって下り落ちてくる。これは、ゴトビキ岩が地上に降ったときに燃えるように輝いていたことを再現するものだともいわれている。
ゴトビキ岩への参道を辿ってみると、四つん這いでクライミングするほどの急傾斜で、途中から見下ろすと誰でも竦みそうな高度感がある。ここを松明を手にして不安定な上に、足元もろくに見えない中、ひしめきあいながら駆け下ってくる上り子たちの勇ましさは想像もつかない。
この参道を登りつめた先には、速玉大社と同じ意匠の朱塗りが鮮やかな社が鎮座し、その上にのしかかるようにゴトビキ岩がある。
ゴトビキとは、熊野地方の方言でヒキガエルのことを言う。確かにゴトビキ岩はヒキガエルにそっくりな形をしていて、新宮の街を一望しその先に熊野灘の海を見通す方向に仰角がついていて、狛犬のように新宮を見守っているようにも見える。
ゴトビキ岩が見通す海の方向は、かつて補陀落渡海が頻繁に行われた。海の彼方にあるとされる補陀落浄土へ向け、小屋を舟の上に載せたような渡海舟で多くの僧たちが海へと出て行った。渡海舟の小さな小屋には僧が一人で入り、外から扉を釘を打ちつけて固定してしまい、そのまま海へと流した。
新宮には、徐福の墓と伝えられている遺跡がある。秦の始皇帝の時代、東方にあるとされる不老不死の妙薬を探すよう始皇帝から直々に命じられた徐福は、一族郎党3000人あまりを引き連れて東へ進み、海を渡った。彼らが海を渡った先にあったのは日本で、彼らは丹後半島に上陸し(上陸地点には諸説ある)、若狭から今の京都、奈良、紀伊半島を南下して新宮に辿り着いたとされる(ルートも諸説ある)。
一般に「徐福伝説」と言われるものだが、面白いのは、上陸地とされる丹後から南へ向かって、徐福一行の末裔とされる渡来民秦氏(多氏)の本拠地が伸び、不老不死にまつわる伝説が点在していることだ。それは、いかにも始皇帝に不老不死の妙薬探しを命じられた徐福一行が、各地を探索した痕跡のように見える。
そして、新宮に残る徐福の墓は、そこに徐福が眠るのではなく、本来は徐福の足跡を示す記念碑のようなもので、秦氏のように日本に帰化しなかった徐福の残りの一行は、ここからさらに海へと漕ぎ出していったとしたら……。補陀落渡海という一見、刹那的な風習も、先に海を渡って行った徐福一行の面影を求めて後を追った者たちの記憶が形骸化して残ったものとは考えられないだろうか。
ゴトビキ岩の袂に佇んで海の彼方を眺めていると、そんな想像とともに、この岩を信仰したのは徐福の末裔たちのうちのここに残った者で、ゴトビキ岩は徐福の向かった補陀落浄土の方向を指し示しているのではないかと思えてくる。
速玉大社も神倉神社も、鮮やかな朱に彩られた社殿とどこかエキゾチックな意匠が竜宮城を想像させるが、それは徐福の遺臣たちがこの地上に具現化した補陀落浄土の姿なのかもしれない。
などと、考えを巡らせていると、ふいに男の声がした。
「ほんとうの拝所は、こっちだ、わしについてこい」
岩の陰から、こちらに向かって手招きしている。周囲を見回しても他に人はいないから、こちらに向かって言ったのは間違いない。
それは、白い肌着にステテコ姿の老人で、あの花の窟で叩頭していた老人を思わせた。
わけもわからず、その老人の後を追う。
そうとうな歳に見えるが、身のこなしは敏捷で、ゴトビキ岩が乗る急傾斜の岩盤を慣れた様子でスイスイとトラバースしていく。こちらは、足を滑らせそうで、岩盤に手をついて慎重にその後をついて行く。
老人は、ゴトビキ岩の裏手で、まったく息も切らさず待っていた。
ちょうどゴトビキ岩と岩盤との隙間に切れ込みが入ったようになっていて、下には真っ白い玉砂利が敷かれていた。
「ここが、速玉の神さんが出てきた場所だ」
まっすぐ、その岩の切れ目を見ながら、老人は言った。
そして、冷たい岩盤の上にペタリと正座して、静かに祝詞を唱え始めた。
そこは花の窟や久高島のクボー御嶽と同じように、異界へと開く門のように感じられた。
そして、ふと閃いた。
花の窟で老人が唱えていたのも、今。目の前で同じような老人が唱えている祝詞も、その門を開くための呪文だったのだと。
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