************************************************
広大無辺な広がりに向かって
大海を回遊する鯨の歌のように響いていく祈りがある
いっぽう
ミニマルな空間の中で静かに、フラジャイルに、細く引き伸ばされていく祈りがある
対照的な二つの祈りはしかし、同じところへと向かっていく
************************************************
はじめて談山神社を訪れたのは30年も前のことになる。大学の友人二人と関西を気の向くままにバックパックを担いで巡り歩いた。
途中、奈良が気に入って、山の辺の道の奈良市側の起点にあったユースホステルに1週間あまり連泊して、周辺を徘徊した。大学生とはいえ、奈良の歴史や仏教についての教養など皆無で、ただただ、山の辺から飛鳥あたりの雰囲気が気に入ってしまって、当てもなくふらふらしていたのだが……今にして思えば、この時に、『古寺巡礼』を著した和辻哲郎の爪の垢ほどでも素養があれば、もっともっと深く奈良という土地を堪能できただろうにと残念に思う。でも、まあ、当時は山登りとオートバイツーリングに明け暮れ、素養など身につける時間などなかったのだから、仕方ないわけだが。
そのとき、ちょうど同じようにこのユースホステルに連泊して、奈良の仏像巡りをしている女の子がいた。彼女は帝塚山女子大の美術史専攻の学生で、仏像に関してとても詳しい人だった。
その子に誘われて、腑抜けな表情の男三人が寺巡りをすることになった。このとき、とても印象に残ったのは新薬師寺で、暗い堂内にぎっしりと立ち並んだ仏像たちが、今にも動き出してきそうで妙に不安な気持ちになった。と同時に、その十二神将たちから立ち上る憤怒は、同じ感情でも様々な位相があることに気づき、長い間飽きずに眺め続けた。
このとき、女の子は一つ一つの仏像について細かくレクチャーしてくれたのだが、それがまったく理解できなかったのが残念だった。手に触れられるようなところに国宝級の仏像があって、それについて専門家からレクチャーを受けられるのだがら、こんなに恵まれたことはなかったのだが。当時は、拝観料など取らず、ちょうど雨模様だったこともあって、ぼくたち以外に拝観者はなく、貸切状態だったのでなおさらだ。
ある日、ユースホステルの連泊仲間全員で山の辺の道を端から端まで歩いてみようということになった。奈良盆地を見下ろす丘陵の麓を南北に伸びる山の辺の道は全長10kmあまりで起伏も少なく、のんびり散策するのにいい。沿道には名だたる神社仏閣や古墳などが連なり、日本の古代史が好きな人にはたまらないコースだ。
奈良に滞在して、貴重な文化財や歴史の舞台を巡りながら、印象に残っているのは、心地いい里山の雰囲気や、外国人も交えたトレッキングの和やかな光景ばかりだが、少なくともあのときに奈良周辺の地理感覚を得ることができたのは収穫だった。
山の辺の道散策の翌日、仏像巡りの女の子が多武峰の談山神社に行くというので、どんなところか知らずに、のこのこついて行くことにした。
一日に数本しかないバスに乗って、だいぶ山奥深くに入り、こんなところに彼女の目指す特別な神社があるのかと疑問に思い出した頃、鮮やかな朱色の山門が目に飛び込んできた。
境内に入ると、優美な十三重の塔とそれを取り巻くやはり鮮やかな朱の社殿が、竜宮城を思わせた。そして、この社殿の雰囲気に妙な懐かしさを覚えた。
ぼくたちを案内してくれた女の子は、談山神社の由来と共に、神仏習合について説明してくれた。「明治時代より前は、神社とお寺って、あんまり明確に区別されていなかったの。寺の中に神社があったり、『神宮寺』といって、神社をお寺が守護したりしてね。この談山神社も明治の廃仏毀釈まではお寺だったのよ」。
彼女は、さらに続けて、大化の改新(乙巳の変)の前に、この多武峰で後の天智天皇となる中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が革命について談合を重ねたので、談山とされたことや、さらに時代が下って天武天皇の時代に藤原の鎌足を祀る寺がここに建てられ、それが現在の談山神社になったと教えてくれた。
言い伝えでは、後に藤原氏と名乗る中臣氏は現在の茨城県鹿嶋付近の豪族であり、朝廷に重用されて大和へ移るときに、氏神様である鹿島神宮を勧請して春日大社を建立したとされる。鹿島神宮もその楼門や一部の社殿が綺羅びやかな朱の装飾をされていて、竜宮を思わせる。春日大社も同じような色使いをしていて、両社の関係が深いことを思い起こさせる。
ぼくは、鹿島神宮が鎮座する鹿嶋市に近い町の出身で、鹿島神宮には子供の頃から馴染みがある。そんな関係で、初めて訪れたこの談山神社にも懐かしさを感じたのだろう。
久しぶりに訪れた談山神社は30年前とほとんど印象が変わらなかった。唯一の違いといえば、当時はほとんど訪れる人がいなかったが、今はちょうど休日に当たったせいもあるだろうが、かなりな人出があったことだ。それでも談山神社のランドマークでもある十三重塔を見たらそれで満足してしまうのか、拝殿に登る人はほとんどいなかった。
談山神社の拝殿は不思議な形をしている。ここでは、寺のお堂に上がるように拝殿内に入ると、拝殿を含めた社殿が四角く配置され、その中間部分が抜けている。寺なら、お堂に入れば、目の前に本尊が鎮座しているが、ここではすっぽり空いた中庭ともいえない空間を隔てて、神殿がある。参拝者は畳敷きの拝殿で正座し、神殿に向かって拝む形になる。その中空とそれを取り巻く社殿の佇まいは、寺でもなく神社という印象からも遠い。ここの雰囲気はどちらかといえば道教寺院に近い。
拝殿で正座し、いざ柏手を打とうとしたとき、それを遮るような鈴の音が割り込んできた。そして、まるで能の舞台に登場する役者のように、白い羽二重の舞衣と緋袴姿の巫女が、神殿を取り巻く縁側の左手のほうから登場した。
ブドウの房のように小さな鈴を連ねた神楽鈴を時折振り鳴らしながら中庭に降りた。ちょうど南天した太陽に影が消され、中庭が幻の舞台のように浮き上がる。巫女はその中を滑るように移動して神殿の正面まで来た。
いつのまにか、鈴の音に祝詞が混じっている。それは玉置神社でも唱えられていた大祓詞で、玉置神社の勇壮なものとは対極にある暖かく柔らかいリズムを持っていた。それは、砂漠の中のオアシスにけだるく漂うコーランの朗唱のようだ。
祝詞と、静かに巫女が振る鈴の音と、眩い太陽の光とが渾然一体となって、中庭とそれを取り巻く社殿を幻の世界のように感じさせる。
巫女が相対する神殿の入口には可愛らしいミニチュア鳥居とお神酒が置かれ、そこに祀られるのが藤原鎌足という人格神であることを考え合わせると、なんとなく愛嬌がある。
玉置神社では、人間の存在など砂粒に感じられるような、絶望的ともいえる自然の拡がりと深さの中で、唯一祝詞だけが鯨の海中での叫びのようにどこまでも浸透してゆき、そこに人という存在の可能性を垣間見せた。
この談山神社では、あくまでも人工的な狭い空間の中で、フラジャイルといってもいい祝詞と音が奏でられる。しかし、それはけして弱々しいといったものではなく、一筋の絹糸のように、しっかりと張りを持ったままどこかへと引き伸ばされていく。
玉置神社では熊野の広大な自然に向かって、四方にしっかりとした響きを保ったまま拡散していった祈りが、ここでは、とことんミニマルな中庭空間の中で、目前の神に捧げられることで、そのまま南天する太陽に向かって、細い筋となって立ち上っていく。
ジェームズ・タレルは、砂漠の中のクレーターの中心部にコンクリートで固めたシンプルな空間を作り、そこではただ天井だけが小さく丸く開けられていて、空の一点だけが見えるようになっている。日本では、金沢21世紀美術館に同じように四方がコンクリートの部屋で、天井の真ん中が小さく四角く切り取られた「タレルの部屋」がある。
タレルのそのシンプルな空間は、大きな広がりを持つ空のほんの一部分を切り取ったことによって、逆に無限の広さのイメージを喚起する。
談山神社のこの空間もまったく同じで、狭い中庭の上方だけが開かれていて、そこを通路として、大自然=宇宙へと繋がっていく。「精神の宇宙エレベーター」とでもいえばいいだろうか。
ここで捧げられる祈りは、当然、個人の願望成就や国家安泰鎮護といった政治的な意味合いをもつものではない。祈りは、ただ宇宙と繋がるため、ただそれだけを目的として行われる。
<<< 【祈りの風景 01】 荒ぶる神への祈り --玉置神社--
【祈りの風景 03】 滝行の世界 --御嶽・清滝、熊野・那智の滝-- >>>
最近のコメント